完全つぶやき、ひとりごとです。^^
私という人間、
私の今回の課題について興味のない方は
スルー願います(笑)
先日書いたこの記事この部分、
私はとにかく人の目が氣になり、
人の目を氣にして、それありきの前提で動いていた。
動いてしまっていた。
その、氣付きが起きてから、
それに向き合い、行動として、
いままで避けて来ていた、
なぜだかわからないけれども出来るようになってしまっていた(笑)
透視リーディングを、再開した。
前の時に 第三者からもらってしまった少しばかり攻撃的な批判が怖くて、
よく知らなかったということもあり、
辞めてしまい、
逃げた。
そして、スピリチュアルに触れないよう、入らないよう、
避けていた。
だけど、
突然の弟の事故死の後、
なぜだか、また流れは作られ、
全然関係ないと思われた、
アロマの集まりで、
あなたはリーディングする人、
能力はすでに内側にある、
外に求めなくていい、
と、
アロマリーディングをその場でする流れになり、
その言葉たちをもらった。
そういえば、
もっと前、
どのくらいの時だったか、
リーディングしてくれる方との縁を結んでくれた人が居て、
当時は次男との関係性に悩んでいて、
次男との関係を視てほしくてリーディングしてもらったことがあった。
その時に、
過去生で今の次男のことを捨てた、手放した、とわかった。
(視えたのは ずいぶん昔の外国で
私が自分のことにうつつを抜かしている間に次男が病気で亡くなった様だった)
だから、
いまの次男がとにかく氣にかかるし、手を掛け過ぎる傾向がある、と。
(当時の次男は小学生低学年)
過去生は過去生で、いまと切り離して考える、という視点を教えてもらった。
いまだに、次男とは何となく深いつながりがあることがわかる関係性を築けている、
と感じている。
その時に、音声を取っていたのだけれども、
聞き返すと、
あなたはいずれリーディングするかもしれないから、と、
音声の中で、
その方の繋がる方法を伝えてもらっていた。
びっくり!!
10年以上も前のことで、
いまの私はすっかり忘れてしまっていた事なんだけど、
ちゃんと必要なタイミングで、
記憶の奥から顕在意識に上がってくるもんなんだなぁ~と(笑)
ますます存在さんたちのすることに感心と共にびっくりで。
そして、どちらもリーディングすると言われていた事にもいまさらながら、
符合にびっくりし、
後押しをもらい、
覚悟も深まって、
ありがたかった。^^
そんな情報と共に。
過去の私自身が、
人の目を氣にする、
そのトラウマ的な出来事、
私が私に蓋をして来続けたいろんな出来事、が記憶の中から浮上してきて、
父が目立つ仕事をしていた関係で、
小中学生の頃のご近所の方々の目が怖かったこと。
〇〇さんとこの娘さん、こないだ買い食いしてアイス食べながら帰りよったで~~。
とか。
小学生の時に、同級生から、
給食の時に何かの理由があって私だけお弁当を持って行ってた時に、
あいつだけ、なんで?!
えこひいきやん!
とか、
嫉妬もあってか いたずら(いやがらせ)されたり、とか。
陰口たたかれたり、とか。
二つ下の弟が、生まれつき見た目にはほとんどわからないけれども障がいを持っていて、
ちょっと普通の感覚と違うものを持っていたので、
そういう部分で目立ってしまい、
それでからかわれたりとか、
好奇の目で見られたり、とか。
ちょっと特殊と言えば、特殊な環境で、
私は成長してきた。
こういうのがなんだかどんどん記憶の奥から出て来て、、、
自然と熱いものが込み上げてきて、
泣きたいわけではないし、
悲しいという感情はなかったのだけれども、
泣けた。
そして、
あぁ、私、
ずっとフタをして生きて来ていたんだ…と。
知らず知らずに、
人の目を氣にして、感情を出すことを抑えたり、
行動を制限したり、
言ってみれば、
大衆に受け入れられる生き方を選択して来たんだな…と。
氣付いた。
氣付けた。
そうしたら、
なんだか、やりたい事や、やろうとしている事への方向性が、
明確になって、
わかりやすい形で、
目の前にバチーンと現れてきた。
あぁ、こういう流れだったのか、と。
私が今世やろうとしている根本的な部分はここなのか、と。
愛のエネルギーをお金に乗せるという意味も解ったし、
なぜここまでエネルギーに興味があるのか、なぜ「響-Hibiki-」なのか、
なぜ、存在さん方との縁が深まる方向性・質なのか、
なぜそれらがわかるのか。
いままでなんか迷走している、と感じていた私のココまでの積み重ねが、
一氣に全てが符合がいって、
つながりが解り、
やっぱりエネルギーと言葉なんだ、と。
愛のエネルギーなんだと。
循環させるだけなんだ、と。
そして、それを体現・証明していきたい、
それを伝えていきたい、
見(観)せていきたい、
のだと。
わかった。
生きるってただただ氣付きの連続だ。
氣付いて外して行く。ただそれだけ。
そして、そこにあるのは、
生きることそのものを楽しむ世界。その日々。
ただ起きて来ることをジャッジせず、
全てただの出来事と捉え、
自分が感じること、そこにのみ注視で、
感じたら、終わり。
その先は、
どうしたいか、だけ。
生きることに起きてくる全ては、
単なる氣付きのツール。
理解は出来た(笑)
ここからは、これを日々肚に落としつつ、
実践♪
(笑)